残されたフォト
 
   年明けの一月の十日といえば、東浜エビス神社の「十日えびす」である。江戸中期からの歴史であるが、高松 の商人はこの縁日に笹の飾り物や餅を境内で買い、この一年の商売繁盛を「えびす様」に願をかけるのがこの縁日 に見かける光景である。また男性が特に気になるのが、北側の町つまり現在の城東町(旧東浜)の風俗街である。城東町といえば中四国随一の遊興の地であることは言うまでもない。戦前より県内はおろか近県からも今も世の男性が 訪れるこの地は未だにその店舗は増えつつある。さてその歴史あるこの街のことで、いちどはお断りしたが、このサイトを制作されるスタッフの方々の熱望についほだされ、終わりに書いた。後世の方々に何かと参考になれば、それは最も望むところである。
         
三代続いた歴史
 

 さて、私もその城東町に今もお世話になっている一人であるが、私の場合は祖父、父と三代がお世話になっている。 祖父は私がもう気心ついた頃には他界していたが、祖父については父から若い時分のことは聞かされていた。 また父はよく戦前の城東町(父は東浜と言い、決して城東町とは言わなかった)の事を事細かく知っていた。

 聞くところによると、戦前の城東町は今ある片原町・百間町あたりからのL字の一本道で、その界隈にはたくさんの 料亭旅館や割烹が立ち並んでいた。地元に人はもちろん、遠く愛媛や高知の商人で京阪神に仕入れなどで、高松 で一泊という旦那衆がまず、馴染みの料亭や割烹で腹ごしらえした後に城東町に繰り出すといった寸法である。
 もちろん当時は人力車、人タクであった。また道中の照明はヘッドライトではなく「提灯」である。目当ての 店も今とは違い古風な「菊水」とか「入船」とかいった粋な店名ばかりである。システムも父が聞いたら大笑い すると思うが、今の様な60分コースとか90分コースのような短時間(ある事はあったらしいが)ではなく ほとんどがお泊りコースであったらしい。
まず店に到着すると「お風呂にしますか?            
一杯あがられますか?」といった調子で聞かれる。  夏は隣が海だけに、風呂上りの 「ひや酒」、「かき氷」で窓辺の夕涼みと洒落込み、あとは蚊帳のなかで、当時の 風俗嬢と一緒に朝まで世間を忘れて,他愛のない話にこの世の憂いを忘れたと私の父は 語っていた。また季節変わって厳冬の頃になると逆に海が隣だけに、店にたどり着くまでの道中は吹きさらしである、それを思えば今のタクシードライバーはなんとも楽園である。また着いた先の部屋は「火鉢」ひとつであるが、その前に風呂、酒に肴と父に言わせれば 冬は冬でなんとも言えない情緒があったようである。

         
風俗嬢今昔
 
 ここで当時の風俗嬢の話であるが、当時は今のように仕事が終わると各々の家路とかは
無く、全員が住み込みである。ここで彼女達の不幸な話はしたくないが、当時の彼女たちには借金があった。一人が今の貨幣価値で500万ぐらいのお金を借りているのが相場であったと聞かされている。しかも一年中そのお役が終わるまで、城東町エリアから外出することはできなかったらしい。以前ある老婦人から聞いた話であるが、戦前に婦人がある年に東浜恵比寿神社の「夏祭り」に子供らとお参りにいったところ、その界隈のたくさんの風俗嬢をみかけたところ、この夏時分に透けるような色白で、しかもびっくりするような素足の美人がいたと聞いたことがある。あとで思えばその日だけが「総出」と言って、彼女達の年一回の外出日だとわかった。これを思えば今の風俗嬢はすごく恵まれ、またよき時代ではないだろうか。多くはまったくのアルバイト感覚に自由出勤、ブランド品蒐集に海外旅行とまさに太平天国である。しかも雇用に気を使っているのは店側であるから当時の立場とは逆転でお笑いである。まったく父が昔よく口にした「風情や情緒」はどこにあるのだろうか?どうも湯をかけて3分で出来あがった風俗嬢とそのサービスにはどうも私は 好きになれないが、これもまた時代である。
         
残されたフォト
 
今は亡き私の父も、昔は「飲む、打つ、買う」の三拍子揃った人だった。しかし晩年はいくらその気があっても「飲む、打つ、買う」の中で、体力とともに衰えていくのがまずは「買う」である。「知恵とチ○ポはこの世で使え!死んでからではつかえんぞ」と昔の人はよく言ったものだが、年齢とともに父もついに晩年は病院暮らしで「飲む、打つ、買う」どころではなかった。ちょうどその頃に病院の主治医からも「そろそろ」と言われ、長男の私と嫁は父の身の回りを整理していた、その時、タンスの奥から戦後まもなく城東町でお店の人がこずかい稼ぎによく売られていた当時の「エロ写真」が多数出現した。もちろん今でいう無修正である。「なんやこれは・・オヤジ!写真やなしに銭やったらエエのに」と一瞬思ったが「ああ昭和25から30年ごろの城東町の女の人はこんなんやったんか・・」と整理するのもわすれて見入ってしまった。だんだんと見ているうちに股間がテントを張るようになり、近くにいた嫁が「どしたん?」と言って接近してきたので、「トイレ、トイレ」といって数十枚にのぼる今は手にすることのできない白黒写真をじっくり閲覧したのを覚えている。また今回インターネットという形で、この写真が公開されるとは私は夢にも思っていなかった。天国の父も笑っていることだろう。
 
       
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